知的饕餮日記

はてな女子で知識欲の亡者で発達障害で腐女子な人の日常だったり恨み節だったり

「なんでもないようなことが『幸せ』だったと思う」こと

私は別にThe 虎舞竜のファンというわけではない。『ロード』は人口に膾炙したから、自称ロッカー()の耳にも届いただけである。他の曲は一切知らない。
しかし、人口に膾炙したということは、少なくない数の人が、この歌に感銘を覚えたということである。歌詞の叙情性は私の好みではないが(私の好みに関してはいつか吐き出すかもしれない)、人々の心を揺るがしたのであろう。
叙情性を切り捨てて、サイケ()でパンク()なロックンロール()を追い求めたのは私の絶望ゆえであろうが、最近のいくつかのできごとが、私を正の方向へ歩ませようとしている。

高校の先輩が出産した

この先輩は著名な個人事業主で、公人名義のTwitterのアカウントでも妊娠・出産の報告をされている。公人としての先輩にとっての私は有象無象の一人でしかないと感じていた。
ほとんど放置していたFacebookのアカウントへ、見知らぬ名前の方からフレンド申請をいただいたのは、数日前のことだ。ファーストネームとフレンド欄を見て「先輩だ」と直感した通り、メッセージには先輩の旧姓(私にとって馴染んだ姓)が付記してあった。つまりは公人とは別の、私人としてのアカウントである。
先輩は主にお子さんの写真をアップされている。赤ん坊がなぜ赤ん坊と言われるのかよくわかる。健康な皮膚の下の血液が全身を循環していて赤い。非常に可愛く、愛らしい。
私人のアカウントでアップされる画像は、先輩にとって私がある程度大切な存在であること、少なくとも「いらない人間」ではないことを、私に教えてくれる。
お子さんの可愛さと、それを見せてもらえる嬉しさは、私に肯定感をもたらしてくれるものだった。

話変わって、ある実験の協力というか実験台をしている時のこと

発達障害者の自助団体に顔を出していたら、池袋の大学の院生の方に選ばれた(主に私の『頼みごとを断らない』性質のため)。
実験の内容は、初対面の人と15分程度会話し、後日その録画映像を見ながら、客観的に見た自分のことや、その時感じていたことを言うというものだった。
インタビュイーの方とは何度かメールでやり取りし、また対面した。メールのフッターに付記していたこのブログを読んでくださっていた。
その内容をいたく褒められた。博識であるなど、過ぎた賞賛も受けた。
境界性パーソナリティ障害を持つ者の常として、常に自分を否定し批判し卑下し続けているが、その実賞賛を心から求めている私にとっては、とても嬉しいことだった。
そして、インタビュイーの方のお話も伺った。決して順風満帆ではないとのことだった。
「親から邪魔者扱いされて理解されなくてとっても可哀想な私!」とあらゆる方法で自分の悲惨さを全方位アピールしている浅はかさが恥ずかしくなった。

「所詮は君もただの欲望と罪の子供」

何の苦労もせずに育った人などまずいないし(貴種には貴種の、素封家には素封家の苦労がある)、人はみな大なり小なりの可哀想さを持ち、苦しみを抱いて生きている。大多数の人は、自分の可哀想さと向き合い、または目を背け、その中で自分が生まれたことの意義や、次代へ継承するべきものを探している。
生まれたくて生まれた人などこの世には一人もいないが、強制的な生を、何らかの手段で肯定しようとしている。
例えば貴種の人が身分ゆえの束縛や義務に苦しんでいたとしても、庶民は『贅沢な悩み』としか受け取らない。しかし、庶民に相対化されても、貴種の感じる可哀想さが消えるわけではない。貴種は貴種なりの幸せ(限定された相手との婚姻や学業など)を見つけるしかない。
個人の感じる可哀想さは決して相対化されないし、またできないのである。

そのように、私は私の幸せを見つけねばならない

幸せとは何かと言えば、「幸せと感じる状態」のことである。
自己肯定の権化たる広瀬香美に『幸せをつかみたい』という歌がある。ここで歌われる「幸せ」は、広瀬の代表作『ロマンスの神様』と同様に、異性との恋愛の成就、そして結婚である。非常にバブリーな世界観である。しかしいくら私がそこに「幸せ」を見出せなくとも、広瀬の信じる「幸せ」を否定することはできない。それは思想の自由だからだ。
人間の数だけ、「幸せ」の形は存在する。
私は前半生にあまりにも多くの量の不幸を与えられたため、「幸せ」を感じるセンサーがぶっ壊れてしまった。前半生でもいくつか「幸せ」はあったはずだし、後半生ではむしろ「幸せ」の方が多かったはずだが、その体験はなかなか定着せず、過去へ怨嗟を飛ばすすることで時間を浪費していた。
だが、恨みを持ち続けると疲れ、消耗してしまう。馬鹿な大人たちに翻弄された過去は変えようがない(おそらく私の寿命が尽きるまでにはタイムマシンは発明されないであろう)から、そこへこだわるのはやめ、目の前の小さな「幸せ」を摘んで濁った魂を浄化した方がはるかに有意義であり、自分への癒しとなる。
先輩から連絡が来たことも、褒められたことも、きちんと記憶して適切な自己愛を形成しなければならない。
ちょうど今は艦これの春イベントの真っ最中で、E-2クリア報酬の明石さんとE-3クリア報酬の天津風ちゃん、そしてドロップにて瑞鶴さんと伊19(イク)さんをお迎えすることができた。レギュラーたちがだいたい育ちきってしまったため、不本意ながら余剰の艦娘を解体していたのだが、新顔たちを強化するために近代化改修に回ってもらうこともできる。
たかがブラウザゲームのサーバーの中のことであるが、これももちろん記憶すべき「幸せ」である。
心持ち次第で、人はいくらでも「幸せ」を得ることができるのである。

「理解してもらおう」とするコストを払う

兄たちにはこのブログのURLを教えている。
それにもかかわらず変態じみたことばかり書いているが、まぁそれは私という人間が変態であるのだからしかたがない。変態じみた偏執がなければ私ではない。

これは一種の対話である。

私は血の繋がった人と対話をした記憶がない。もちろん言葉を交わしたことはあるが、互いを尊重し、好きなものを認識し、理解を得られたことはついぞない。小学生の頃の私の言動は『わがまま』として消費され、思春期の頃は「何か難しいことを考えている、気持ち悪い」程度の認識しかしていなかったはずだ。おまけに20年近くリアルで会ってもいないのだから、私という人間がどんな要素でできていて、何を求めているのか、理解しているとは思えない。

先日、兄へメールを送った。

無責任に私をこの穢土へ放り出し、私の責任ではないすべての不都合を私のせいにして心の安寧を図った連中は許しがたい、といった内容である。
しばらく後、次兄から返信が来た。次兄もあの親はどうしようもない人間のクズであるという認識はしているらしいが、長兄と妹に逃げられ、結果的に今一番親と近い位置にいるため、かつて受けた理不尽を水に流して交流しているらしい。
それ自体は兄の選んだ人生だし、私がどうこう言うことではない。しかし、どうにも見解の相違が見られる。
例えば、文中で「チャンコさんにとってはやっぱり過去を返して、って思うよね」とある。

私の絶望はその程度のものではない。

私が求めるのは虚無である。よりわかりやすく言うとvoidである。spaceでは何もない空間がある。nullでは少なくとも呼び出すための左辺がある。voidは何もない。そこに何かがあった痕跡すらない。初めからこの宇宙には存在しない。
そうありたかった。一番病んでいた時は、本気でそうありたかった。虚無であることを求めていた。
もちろん既に私は存在してしまったのだから、今から存在をなかったことにはできない。絶対にできないことを求めて、私はますます病んだ。

「人生をやり直せるとしたら、いつに戻りたい?」という質問があるとする。

メンタルを病んだある友人は、この問いに「親を選び直したい」と答えた。不都合な人生の原因を親に求めるという点で、彼と私には共通点があるのだが、彼は『彼』という人間であることを保ちたいということが、この返答から伺える。ひとりっ子で、比較参照すべききょうだいのいないことも、この発想を支持していると思われる。
私の答えはこうである。
「受精する精子を変えたい、それが叶わなければ流産したい、それも叶わなければ分娩台から転げ落ちたい」
私はちょっと高いIQを相当低いEQを持ち合わせて生まれてしまい、馬鹿からは甘やかしてもいないのに「末っ子だから甘やかされてわがまま」という魔法の概念を与えられ、奇行をすべて『わがまま』で処理された。少なくとも生まれてから20年くらいの間は、ほんの少しの「生まれてきてよかったこと」を凌駕し駆逐する勢いで襲い来る「生まれてくるのではなかったこと」に押しつぶされた。「お金がかかる」と口癖のように言う連中が、なぜ存在するだけで資産を浪費する生き物を飼うに至ったのか、私はまったく理解できない。
しかしこの感受性と中途半端な適応力がなければ、きっと馬鹿が馬鹿であることに気づかず、自分が存在することに対するコストにも気づかず、ここまで病まずにもっと楽に生きられたかもしれない。兄たちが、はからずもそれを証明してくれている。
受精した時点で、人生はある程度決まる。スペック的にも、環境的にも、人は自分の生まれから逃れることができない。
私を作ったのは、発達障害の因子が乗ったベリーハードモードの精子であったはずだ。もう少しノーマルモード人生を約束された精子であれば、私の苦悩は一切存在しなかったと思われる。底辺の馬鹿の子にふさわしい人間であれば、抗鬱剤など必要なくなる。
これは今ここに存在する私を否定する考えである。

存在をなかったことにしたいほど、絶望していた

へその辺りでものすごい重力と怨嗟を発しているブラックホールを消すには、私ではない別の『フルヤさんちの第三子』を求めるしかないのだ。
「過去を返して」などという甘い絶望では断じてないし、「親を選びたい」ほど今の自分を保ってもいない。
存在したくなかった。
「お金がかかる」なら、第三子を出産しない選択もあったはずなのに、馬鹿はそれを選ばなかった。きっと「命を消すのは可哀想」といった砂糖菓子のような唾棄すべき甘い感傷があったからだろうが、生んでおいてまったく理解も想像も及ぼさず、ただ食事だけ与えて放置して、「お金がない」と呪詛を刻み、問題を起こしたら「お前が存在するのが悪い」とばかりに責め立てる方がよほど「可哀想」だと思うのだが、馬鹿はそんな風に具体的な想像ができない。
だから、違う精子を受精して違う人間になるか、人生を始める前にこの世から消えたい、という結論へと至ったのである。

こう書いても

はたして兄は理解できるのか、一抹どころではない量の不安がある。
今北産業』という言葉があるように、長文の読み取りを苦手とする人は一定数存在する。
それでも、『銀の匙』で八軒くんが家族へ挑むように「理解しようとする努力を怠ってはいけない」という心持ちでいなければならないのだろう。
「理解してもらおう」というコストを支払ったことを、全世界へ証明する必要がある。そうでなければ、対話したとは到底言えない。

文化資本が貧困であるということ

教養主義の時代は終わった、と方々で言われているが、それでも最低限の教養があったほうがはるかに生きやすいし人生も楽しい。文化資本が豊かなら、目の前のできごとをただの具象として処理するにはとどまらず、その背景やそこへ至る人々の心の動きを想像し、補完してより深い楽しみを得ることができる。ウクライナ問題にせよ、TPPにせよ、2ちゃんねるの運営権を巡るいさかいにせよ、教養がなければただのニュースの見出しだが、中央アジアの歴史や、日本農業の課題や、2ちゃんねる運営の人間関係を知れば、事態の推移の予想が可能だし、想定外のできごとが発生した場合は驚きが湧き、知的好奇心を満たすことができる。艦これも、ただ女の子を育てるだけではなく、擬人化の元ネタの船舶についての知識を学べば、より艦娘を好きになることもできる。

そもそも文化資本とは何か

毎度毎度Wikipediaさんへ頼るのも私の文化資本の欠如の表れなのだが、Wikipediaさんの定義では、

金銭によるもの以外の、学歴や文化的素養といった個人的資産を指す

とある。
要するに、生まれてから今までの間に培ってきた知識と、それに付随する学歴だとか肩書などの総称である。
これは他の資本とは違い、金銭的な面で劣っていても高めることができる。
だが、現実は無惨なもので、文化資本の高低は経済資本のそれとある程度比例する。もちろん、貧しくても子供に知識を身につけさせることを目指している親も一定数いるが、大概の馬鹿は子供の教育には無関心である。学校のテストの点を見ることはあっても、読み聞かせなどで本を読む習慣をつけさせるとか、身銭を切って手軽に読める本を揃えるとか、そういったことはしない。
そういった馬鹿に育てられるとこうなるという、実体験を記してみる。

例えば、知人に清顕さんという人がいるのだが

これはもう、どう考えても、三島由紀夫が市ヶ谷で切腹する前後に書かれ、発表された『豊饒の海』のキャラクターにちなんで命名されたものであろう。名前ひとつに家庭の文化資本の高さがにじみ出ている。もしかしたら、私の次兄の漢書(仮)のように、劉邦も漢もまったく知らない馬鹿が適当に名づけた名前が史書と偶然一致したのと同じという可能性がないこともないが、かなり低く見積もることはできるだろう。
漢書(仮)という名前は、例えるならところてんやクラゲの当て字を知らずに心太や海月と名づける馬鹿と同列に論じることができる。名づけはその人の一生を決定づける行為であり、「この文字列には別の読み方や解釈があるのではないか」といったことを考え、決めるものだ。馬鹿はそうした想像を一切巡らすことがない。辞書を引くことすらしない。ゆえに馬鹿は馬鹿なのである。

また、長じてからも

私は偏差値的学力と比して文化資本が少ないと感じることがままあった。
宇月原晴明信長―あるいは戴冠せるアンドロギュヌス (新潮文庫)』を読んだ時のことである。この小説はただの戦国ものではなく、後に『ヘリオガバルス または戴冠せるアナーキスト』をものすアントナン・アルトーが、ベルリン滞在時に日本人将校の総見寺から「織田信長は両性具有だった」と聞かされ、かねてからの懸案だったヘリオガバルスと信長を比較して論ずる書物を執筆するという、相当変わった作品だ。
アルトーの研究を親衛隊(SS)が妨害しようと襲いかかったところを、ナチス左派のオットー・シュトラッサーの助けの手が入る。オットーはナチスに属してはいるがヒトラーとは距離を置いており、ヒトラー直下の親衛隊の動向に気をつけるようアルトーへ警告する。
この二人が実在の人物であり、アルトーが実際に『ヘリオガバルス』を出版したことを知ったのは、読了後のことであった。

また、高村薫『晴子情歌』を読んでいた時は。

作中の全共闘世代の若者たちが、「伊東静雄を読んでいて当然」といった空気をはらんで動き、しゃべり、煩悶する。「これは中村青司*1や霧間誠一*2的なアレなのかと思っていたら、きちんと実在しており、一定の評価を得ている人物だった。
「当然知っているべきもの」を知らない己の教養の欠如に、少なからず衝撃を受けた。

文化資本の貧困問題

母は思い切り団塊だし、父は戦前生まれといっても敗戦時は幼児だったから、戦前教育は受けていないはずだ。『晴子情歌』の登場人物と同年代ということになるが、きっと彼らは伊東静雄を知らないであろう。想像でしかないが、書棚の貧弱さから推して知ることはできる。
よく本読みたちは「ベストセラーしか読まない」人を馬鹿にするものだが、世の中には「ベストセラーすら読まない」人間もいるのである。例えば、村上春樹が『ノルウェイの森』で一般人にも知られるようになったのは87年のことだが、上下巻430万部売れた本が、あの家にはなかった。貧乏人は本を買うような浪費を避け、知的貧困をより強めるのである。
あの家にあってありがたかったものは、『横山光輝三国志』と『学習まんが日本の歴史』くらいである。なぜそれらが家にあったのかを、私は知らない。兄たちがせがんだという可能性はあるが、だとしてもきっとそれはただ欲しがるものを買い与えただけのことで、経済的貧困を文化資本で補おうといった積極性や目的意識はなかったはずだ。馬鹿は後先を考えない。

去年、姪が4人いることが判明した

私自身は子供を持たない(彼らの子供を好きになれないのに、彼らの孫など虐待する気しかしない)が、兄は私のように葛藤しなかったらしい。
私が恐れているのは、文化資本の低さの連鎖である。別に勉強ができればいい人生を送れるわけではないが、知識を与えられる機会が少なければ、個人の持つ文化資本は低いままである。
あまりよそ様の家庭に口を出すものではないが、「知っておいた方がいいこと」を知らされずに生きることの心細さややるせなさを味わっている身としては、なんとか少しでも文化資本口伝したくなる。
親の馬鹿さに振り回され、しなくてもいい苦労をし、与えられるべきものを与えられないのは、私一人で充分である。
そのうち、『姪のためのブックガイド』などを書くかもしれない。
賢ければ馬鹿のふりをすることも可能だが、馬鹿には賢人の真似などできないのである。

信長―あるいは戴冠せるアンドロギュヌス (新潮文庫)

信長―あるいは戴冠せるアンドロギュヌス (新潮文庫)

晴子情歌(上) (新潮文庫)

晴子情歌(上) (新潮文庫)

晴子情歌(下) (新潮文庫)

晴子情歌(下) (新潮文庫)

*1:綾辻行人『館』シリーズに登場する架空の建築家。変な家をたくさん作る

*2:上遠野浩平の作品群に登場する架空の作家。上遠野作品の巻頭辞は、霧間誠一の著作からの引用という形を取るものが多い

川越と厚木の中間点で愛を叫びたかったけもの

日曜日(27日)、所用で横浜へ行った。より正確を期すなら、伊勢佐木町へ行った。
伊勢佐木町モールのベイスターズ推しと、今季ベイスの暗黒ぶりのギャップに、ベイスファンでない私でも暗澹たる気持ちを抑えることができなかった。ベイスターズ非公認ブログペットベイスたん(ベイスターズの勝ち星か選手のホームラン以外の食物を食べられない、そして空腹ゲージが切れると餓死してしまう)の容態が心配になった。去年は比較的はらぺこな思いをせずに済んだのにね…。
用事を済ませ、関内駅から京浜東北根岸線に乗り、横浜駅東急東横線に乗り換え、松本清張『或る「小倉日記」伝』を読みながら車窓を見ていると、またぞろ暗黒が吹き出した。

祖母についてのおおまかな説明

母方の祖母は、実の祖母ではないのかもしれない。
1948年、45歳の時に母を産んだという設定なのだが、当時の基準で言うと相当な高齢出産ということになる。
初産ではないし、実際に40代で出産した人もいるからむやみに疑うのもよくないが、厄介なことに傍証もある。母には20歳以上年齢の離れた姉が二人おり、しかもそのうち2番めの姉(私の伯母という設定)は若くして自殺したらしい。どうも何かありそうだ、と勘ぐるには十分すぎる状況である。
しかしこの話は今回関係ないので、以下「祖母」で統一する。
祖母は93年に、90歳で逝去した。逆算すると、1903(明治36)年生まれということになる。今Wikipediaさんに聞いたところ、この年の5月には藤村操が華厳の滝へ飛び降り自殺し、12月にはライト兄弟が飛行実験に成功している。そしてその翌年には日露戦争が始まり、与謝野晶子が『君死に給うこと勿れ』を発表する。祖母は大正デモクラシーから戦中・戦後、高度成長期までの激動の時代を生き残ったわけだが、祖母とそういった話をする機会はなかった。そもそも祖母と話をした記憶がない。
私が物心ついた頃、既に祖母は重度の認知症を患っていたのだ。
81~82年頃、膝か腰を傷めて入院したらしいのだが、まだ介護の概念があまりなかった時代に、患者を家畜のように扱うろくでもない病院へ転院してしまったため、認知症(当時は『老人ボケ』と言われた)の症状が一気に亢進してしまったのだ。
そのとんでもない病院は、今ではある趣味の持ち主の間で超メジャーな存在となっている。

厚木恵心病院

Wikipediaさんに項目まである、立派な心霊スポットとなったのだ。祖母が入院していた時は河野病院という名義だったが、患者扱いのよくなかった病院が潰れるのは当然のことで、その後何回か経営者が変わった後に廃業し、廃墟となった。「経営不振を苦にして飛び降り自殺した院長」や「手術に失敗して死んだ患者」の幽霊が出ると噂され、肝試しを楽しむ若者が訪れ、不良のたまり場となって壁面をDQNアートで彩られた。
もともとオカルト趣味のあった私が、インターネットのサイトや掲示板などで『厚木の廃病院』の噂を聞き、もしかしたらと画像を見たところ、バス停から仰ぎ見た記憶のままの建物があり、感動した。

厚木千里行

そもそもなぜ見覚えがあるかというと、少なくとも2回以上訪れたことがあるからだ。なぜ訪れたかというと、祖母の見舞いという名目があるからだ。そして私がなぜ見舞いに訪れたかというと、これが判然としない。
今一生懸命記憶を掘り返しているが、私は元気だった頃の祖母に接した記憶がない。祖母の90年の人生のうち、寝たきりだったのはその1/9に当たる10年だったはずだが、私の記憶はその10年に限られている。私にとっての祖母は、ただ病院のベッドの上で身を起こして歯のない口をもぐもぐさせていた小さな存在でしかない。意思の疎通のできる生物であったとすら認識していない。祖母も私に何ら反応を返さなかった。目の前にいる孫か曾孫を認識していたとは思えない。娘もしくは孫である母ですら認識していた風ではなかったのだから、その付属物の扱いなどは推して知れる。
ところで、当時住んでいた川越から厚木までの道のりは相当遠い。今Googleトランジットで調べたところ、最短でも1時間58分かかる。しかもこれは小田急ロマンスカーを用いてショートカットした時間である。特急に乗る経済的余裕はなかったし、まだ埼京線の開通前のことだったから、ルートは東武東上線→山手線→小田急線に限られた。しかも、本厚木駅に着いてからも、病院へ行くのにはバスを用いた。往復すれば4時間以上(ひょっとしたら5時間近く)である。ちょっとした小旅行の移動距離だ。
当時7歳の私が、電車に乗るという非日常を楽しめたのはせいぜい行きの小田急線までで、帰りは疲れきっていた。本厚木からの上り電車も、山手線も、池袋からの下り電車も、空席を探すのが難しいほど混んでいた。しかたなく床に座り込む私を、母は「みっともない、わがままを言うな」と引き起こした。「わがままを言ってはいけない」という強烈な刷り込みがあったが、吊り輪は到底手の届かない高さにあったから、手すりに縋って立った。帰宅する頃には疲労困憊であった。

いや、そのりくつはおかしい

前述の通り、川越から厚木への往復移動時間は軽く4時間を超える。小旅行の域である。成人した中年の私ですら「面倒だなぁ、用事がなければ行きたなくないなぁ」と思ってしまう程度の距離だし、ましてやそのうち2時間座らないなど、苦行でしかない。常識的に考えれば、7歳児にそんな苦行を強いるのは間違っている。
例えば「祖母が私にどうしても面会を求めていた」といったような理由があれば、「あの頃は大変だったけど、おばあちゃんを喜ばせられてよかった」という風に自分を慰めることは可能である。しかし実態はこれまた前述の通り、当時の祖母に意思があったかすら疑わしい。
母が私に怒ったのは、一見普通の『厳しい親』めいているが、幼児に電車での行儀を求めるのは、せいぜい帰省かテーマパークへの行き帰りなど楽しい時か、子役さんが仕事へ行く時くらいだろう。流れる車窓くらいしか益のないただの移動に子供が飽きや疲れを覚えてはいけない、と子供を怒る方がどうかしている。
私が移動に飽きることに対して何の配慮も払わない点も、理解しがたい。発達障害児だった私は待つことが苦手である。また、活字があればそれを一日眺めていても飽きない子供だったのだから、本の一冊も持たせれば、少なくとも飽きなかったはずだ。そういった子供の個性や特性を無視して、ただ「自分が我慢しているのだからお前も我慢しろ、わがままは許さない」と強要する方がよほどわがままである。
私は意思を一切尊重されない荷物だったのだ。

連れて行かないという選択肢はなかった

そんなわがままを押し通してでも、母は荷物の私を連れて行くしかなかった。
姑であるところのクソババア(父の母とされている存在)と同居しているのだから、預けて身軽な状態で出かけることもできたはずだが、母はクソババアにはどうしても恩を着せられたくなかったのだ。
クソババアは無神経と独善と図々しさと恩着せがましさを汚物で練り上げたような憎々しい生物で、ちょっとしたこと、例えば子供が脱いだ服を放置したとか、洗い物が残っていたとか、そんなことを進んで片づけては、「~してやったよ」と報告する。それが母には耐えがたく屈辱的だったらしい。まったくの善意であるところが余計に悪質だ。
これは相性の問題であろうが、障子の桟の埃を指で拭うような、いわゆるクソ姑のような人だったら、母の努力は報われたはずだ。あるいは、想像力が欠如している馬鹿を「大らか」と呼ぶことも可能だから、他人の恩を素直に受け止められるお嫁さんなら、円満な家庭を築けたかもしれない。
想像力に欠陥を抱える自分の正しさを微塵も疑わない馬鹿と、意思表明できず他人に察してもらう努力しかできない愚者の組み合わせは最悪である。
自分で言うのも何だが、私はそんな馬鹿な大人たちのわがままに翻弄され、意思表示する権利すら『わがまま』という魔法の言葉で奪われた。
本当に『わがまま』な人間が、長じて「私が呼吸していることが地球に対して罪悪だ」とか、「私の分の食事があれば、紛争地域の貧しい子の食事を確保できるのに」といった病み方をするわけがない。想像でしかないが、たぶん「自分の思う通りに動かないこの世はおかしい」と感じるはずだ。
命名規則の件もあり、後に「私を製造する予定はなかった」「私は避妊に失敗して堕胎の時期も逸して生まれたいらない人間だ」と母に認めるよう迫ったが、母は「そんなことを考えるのがおかしい、理解できない」と拒絶した。
そのように思わせる言動を積み重ねておいて、自分の都合のいい時だけさもまともな親である風に振る舞うのである。身体的虐待を加えられていた方が「悪いことをした」という自覚が芽生えるかもしれないだけましというものである。

世界の中心で愛を叫んだけもの

今の私の存在を否定する存在はいない。私は自分の存在を消すように働きかける必要はないし、私が移動する場所も読む本も自分で決められる。よほど他人の利益を損なうことがない限り、それを『わがまま』と謗る人もいない。「僕はここにいてもいいんだ!」と宣言して拍手を受け、「おめでとう」と言ってもらえる。
血縁者にとって「いらない子」であっても、血の繋がりのない一部の人にとっては「いらなくはない」と自分を定義できる。
TV版『新世紀エヴァンゲリオン』の最終回を見ても、自分の存在を否定されなかった人は「何を当たり前のことを」と思うだろうが、その『当たり前』を与えられなかった人間にとっては死活問題なのである。何しろ、自己定義を繰り返さなければ、存在意義は消えてしまうのだ。それはとても恐ろしいことである。

ホモカップリングは叶わないからこそ、そして「鵺まだか」 - 『デュラララ!! 竜ヶ峰帝人サーガ』終了によせて

デュラララ!!』というライトノベルがある。
作者は成田良悟、イラストレーションはヤスダスズヒト。池袋を舞台に、都市伝説をモチーフとして日常と非日常の狭間を描く群像劇である。2010年にアニメ化されて大変な人気を博し、14年3月にはファンが待ちに待った第二期の製作決定の発表があった。おそらく秋か、遅くとも冬には放映されるだろう。この説明ではまったく面白く感じられないが、実際読むととても面白い。ものすごい膂力で伏線を回収する手腕には、純粋な感動を覚えるほどだ。

デュラララ!! (電撃文庫)

デュラララ!! (電撃文庫)

この作品について語ることはいくつかキープしているのだが、今日は妄想についてのよしなしごとを述べたい。

おっさんが可愛く見える病気

に、私は罹患している。特に繊細な内面といかつい外見のギャップだとかアンビバレンツなどを抱えているおっさんを見つけて可愛い可愛いと萌え転がるのが大好きである。おそらくルーツは京極夏彦百鬼夜行シリーズの木場修太郎である。
そんな私は、『デュラララ!!』シリーズでは赤林という人物のファンである。
赤林は作中の広域指定暴力団『粟楠会(あわくすかい)』の幹部である。かつては触るものみな傷つけるジャックナイフのような凶暴さしかなかったのだが、人間を愛し、そのために自己増殖する生きた妖刀『罪歌(さいか)』を身の内に宿した既婚女性・園原沙也香に惚れたことで人間的な感情を獲得し、今ではふわふわした印象を周囲に与えることに成功している。
その内面描写を読んだ時は、好みのストライクゾーンのど真ん中に130km/h台のストレートを投げ続けられたような気持ちになった。動悸がした。
自分を『おいちゃん』と呼び、三十代にして好々爺のように柔和な笑みを浮かべる顔の下に隠れた内心を思うだけで、軽くトリップすることが可能である。変態だ。

デュラララ!!』の簡単なあらすじ(ネタバレ注意)

当初は愉快な人間と人外が大集合する一巻完結の物語であったが、(おそらく)アニメ化の都合や読者の要望により、透明なカラーギャング・『ダラーズ』の創始者である少年・竜ヶ峰帝人(りゅうがみね・みかど)に焦点が当たってゆく。
帝人の同級生には、中学時代に挫折を経験した、カラーギャング『黄巾賊』の元リーダー、紀田正臣と、悲惨な幼時環境から自らの存在意義を見失い、妖刀『罪歌』に寄生している少女、園原杏里がおり、この三人の友情と挫折と再生の物語に、すべての登場人物が巻き込まれてゆく。
この園原杏里は、前出の園原沙也香の娘である。酒とドラッグに溺れた夫(杏里の父)との生活に行き詰まった沙也香が夫を殺し、自らも死を選ぶ。宿主を失った『罪歌』と保護者を失った杏里が結果的に共生しているのだが、これは作中の限られた人物しか知らない。
赤林は惚れた相手に振られ、しかも守れなかった(沙也香の夫にドラッグを売りつけていたのは、赤林がかつて所属していた組織の手先だった)ことに自責の念を覚えており、残された杏里に何くれとなく世話を焼いている。

『おいちゃんを幸せにし隊』活動

人が何を思ってコンテンツを受け取るのか、それはそのコンテンツの性質や与えられた環境や受け取る人間の個性とか、そういった多義的なものに左右される。一般論を求めるのは難しいが、「少なくとも私の場合」を言うことはできる。
少なくとも私の場合、「おいちゃん(赤林)と杏里ちゃんに幸せになってほしい!」と強く思ってしまった。
赤林は柔和な印象と、『赤鬼』とあだ名される凶暴さと、乙女的あるいは素人童貞的な純粋さを持ち合わせており、ひどく生きづらそうな印象を振りまく。『生きづらい』人に幸せになってほしいと考えてしまうのである。
そして、杏里と接する時の優しさや、杏里を案じる時の内面描写は、「おいちゃん杏里ちゃんの好きなのかな…」と想像するに足るものであった。一度確立した見方は、「おいちゃんと杏里ちゃんが結ばれればいいな…」という欲望を生み出す足場として充分なものだった。
冷静に考えれば、ライトノベルの主購読層の中高生にとって、三十代のおっさん(親と同世代かもしれない)はまったく恋愛対象ではない。杏里は竜ヶ峰帝人サーガにおけるヒロインであり、帝人と結ばれる未来が期待されている。私の思い描く展開など望むべくもないのだが、現実から目を逸らすスキルだけは鬼のように高い中年は、ただ量刑判決をされない間あがき続けた。

2014年1月10日、『デュラララ!!』13巻刊行。

ここにおいて、竜ヶ峰帝人サーガは幕を下ろした。
それは私にとってそれほど重要なことではなかったが、帝人の物語が終わったことで、四年間囁かれ続けた『二期』が具体性を伴ったことは理解した(二ヶ月後、その直感が正しかったことを知る)。
結局帝人杏里がはっきりと心を通わせ合うことはなかったのだが、それ以上に衝撃的なことが私を襲った。
赤林が、内面においてはっきりと「杏里への恋心はない」と明言してしまったのである。
沙也香への恋心と、その娘の杏里への親心は別である、とはっきり書かれてしまったのである。
私は割と古いタイプの教条的なオタクで、「原作に描かれていないことはいくら妄想してもいいが、原作で描かれたことには忠実でなければならない」と思っている。『原作でちょっとだけ仲のいい人たち』が舞台裏でいちゃついているのを想像して萌えることは可能だが、『原作で仲の悪い人たち』ではあまり萌えられない。思春期にメタミステリの影響を受けてしまったため、『テキストは絶対的に正しい』という思い込みを崩すことが難しくなっているのであろうと推察できる。
本編の1/3辺りでの赤林の発言を受けて、「フラグ折られた…成田さん御自らの手でバッキバキに折られた…」と悲嘆に暮れながらページをめくっていた。自分の1月10日のツイートを見ると、いかに絶望したかが未練がましくつらつらと綴られている。

そもそもヘテロカップリングに夢を見ることが間違っている

現在、いかに性の多様化が謳われていても、やはり多数派は異性間(男女)の愛情、つまりヘテロセクシュアルである。同性間のホモカップリングはなかなか最前面へ出ることはない。
いきおい、ヘテロに夢を見ると、原作からおおいに裏切られることがある。オタクを始めて四半世紀経って、充分に汚れた私は、そんな当たり前のことを忘れていたのだ。
そのことに思い至った時、電撃文庫のページを繰る私の後ろで、厨二の私が囁いた。
「お前の好きな青木くんとお前の大好きなマスカマは絶対にくっつくことはないが、その代わり絶対に『恋心はない』などと断言もしないぞ」と。
私は19年前に百鬼夜行シリーズを読み始めて、あの分厚い本を何度も読み返してしまうほどのファンである。その登場人物の警視庁刑事・青木文蔵と、元神奈川県警刑事で現在探偵助手の益田龍一(通称マスヤマもしくはマスカマあるいはカマオロカあるいはバカオロカ)の二人が最近のお気に入りで、『邪魅の雫』や『百器徒然袋』を読み返しては青木くん意地悪だなぁマスカマ可愛いなぁと悶えている。
それを受けての厨二発言に、中年の私は感得した。
人はなぜ何故にホモカップリングの妄想をしてしまうのか。
それは『絶対に叶わない』のと引き換えに『絶対に壊されない』ためである。
ヘテロカップリングは作中で叶ってしまうがゆえに、自分の好きなキャラクターが自分の好きなキャラクターと結ばれないことも覚悟せねばならなかった。
ホモカップリングにはそれがない。絶対に叶わないがゆえに、「でも別に妄想するのは自由だし」と、恋物語を捏造することができる。なぜなら、原作で「この二人は結ばれませんよ」と明言されることはまずないからだ。
オタクとしての初期衝動を思い出し、己の中にこんな純粋な気持ちが残っていたのか、と驚いた。

今では

百鬼夜行シリーズの最新作としてアナウンスされている『鵺の碑』が出版されることを毎日祈りながら日々を過ごしている。
おそらく講談社ノベルスではなく、たぶん角川、もしかしたら文藝春秋から出版されるであろう、昭和29年1月以降の日光を舞台としたと思しき小説を待ち続ける作業にシフトしたのだ。
青木くんとマスカマは前回『邪魅の雫』でフィーチャーされたので、今回はあまり出番がないであろう。しかし、二人がそこに存在していることが重要なのである。
十二国記』も『ファイブスター物語』も『タイタニア』も再開されたのだから、待っていればそのうち『鵺の碑』が出版されるに違いない。
一瞬『グイン・サーガ』とか『裸者と裸者』とか『石動戯作シリーズ』などが浮かんでしまったが、都合の悪いものは見ないふりをする。
更には今年は京極夏彦作家業20周年なのだから、何かしらのイベントがあるに違いない、と信じていたのだが、4月時点で何の発表もないから、たぶん特にはないのだろう。
私はただ、信念に基づいて呟き続ければいいのである。『鵺まだか』と。

文庫版 邪魅の雫 (講談社文庫)

文庫版 邪魅の雫 (講談社文庫)

人格障害は治る、かもしれないのと『家族』の定義と認知の歪みの話

艦これで、春イベントが始まった。昨年末の『蒼き鋼のアルペジオ』とのコラボイベントから数えて3ヶ月ぶりの期間限定イベントである。イベントではクリアの報酬として先行配信艦娘や装備がゲットできる上、マップ上でのレア艦娘のドロップ率が高い。建造ではなかなかレア艦を出せない、また通常マップの攻略が遅れている私のようなヘタレ提督にとっては、大変にありがたい機会である。初風浜風夕雲イクさんと不気味に呟きながら、ここ3ヶ月で貯めた資源やバケツ*1を大放出している。
しかし、どうやら弾薬が足りない。45000ほど備蓄していたのだが、主力に戦艦や正規空母を投入し、援護攻撃にやはり戦艦を派遣すると、マップ1周ごとに弾薬1000くらいは平気で吹っ飛ぶ。少しでも多くの弾薬を稼ぐためには、予備役のみんなを遠征に出して資源の回収に努めるしかなく、遠征にはキラづけ*2の努力をしなくてはならない。千里の道も一歩からである。

キラづけは基本的に何回か左クリックするだけの簡単なお仕事である。その間ただぼーっとしているのはもったいない。というわけで、徒然なるままに駄文を書き連ねる。

とても素直な感想を持つ

韓国で旅客船が沈没してから、もう1週間以上過ぎてしまった。これほど多くの犠牲者が出た原因として、乗組員の杜撰な勤務状況が報じられている。防ごうとすれば防げたはずの、人災である公算が非常に高い。
とはいえ私は船舶にも韓国の法律にも詳しくはないただの中庸派なので、その原因を論じるわけではない。今回は、あの事故を見た時の私の心の動き方の話である。
先週の金曜日(18日)、私はニュースを見ていた。どの番組も、沈没事故をトップニュースで報じていた。取り残された人たちの生存の可能性を測る目安の『72時間』を前に、救助活動はなかなか実を結ばず、搭乗客(主に高校の修学旅行生)の家族が、焦りと悲しみを隠さずに嘆く様子が液晶画面に映った。
その中で特に胸を打ったのが、ある家族の方が海岸から船の沈む方角へ向かって「○○ちゃん、頑張って!」と、まだ船内にいると思われる少年もしくは少女へ聞こえるようにと声を張り上げて呼びかけていたシーンだった。「悲しいなぁ、やり切れないなぁ、早くどうにかうまく助けられないかなぁ」と、見ず知らずの少年少女とその家族へ同情した。

その次の瞬間、少し冷静な私が思い出した。

「お前、前と言ってること違くね?」と。
確かに以前の私は、この手の事件や事故の犠牲者のことを思いはすれども、その家族へは常に冷ややかなまなざしを向けていた。
失われた命を嘆く家族を見るたび「はいはい可哀想な私アピール乙」とか「どうせ内心では死んでくれてラッキーとか思ってるんだろ」とか「(特に親に向かって)お前らが作らなかったらその人は死なずに済んだんだよ、人を不幸にしといて被害者面してんじゃねーよ」と、悪罵の限りを尽くしてきた。
学習によって得た知識で、そのようなことを言うのは道徳上好まれないと理解していたため、口に出したりインターネット上で公表することはなかったが、30代に入るまでは本気でこう思っていた。

もちろんこの発想は歪んだ認知に基づいていた

私の育った劣悪な家庭環境が、『家族』とは互いに憎み合い、揚げ足を取り合い、攻撃し合い、「こいつ邪魔だからとっとと死んでくれないかな、つーか死ね今死ねすぐ死ね可及的速やかに死ね」と呪い合うものであり、そうでない『家族』などない、という偏った常識を形成させたのである。
そのような認識であれば、身内の不幸を嘆き悲しむ人を見ても「あーこいつお涙頂戴の悲劇の主人公を演じてやがる、そこまでして同情がほしいかこの人でなしめ」と思ってしまうのも当然の成り行きである。
これは『とても性格が悪い』人間の思考様式であり、現代社会ではその『とても性格が悪い』ことを人格障害もしくはパーソナリティ障害と呼ぶ。

一緒くたになった三重苦

私は生まれつきの発達障害を持ち、無理解と抑圧を受け続けた結果、二次障害の鬱病人格障害を併発している。
狭義の(医師にかかったという意味での)病歴は15年ほどだが、自覚しない病識を持ってからの年月は30年以上であろう。
社会との軋轢を強く感じて鬱をこじらせてからずっと、私は悪魔に苛まれ続けていた。それは時に母の姿を取り、父の姿を取り、クソババア(父の母とされている無教養で愚かな老害)の姿を取り、四六時中あらゆる方向から私の存在意義を否定し、私を苦しませ続けた。
とうとう疲れ果てて社会に出ることをやめてからも、悪魔との戦いは続いた。そして、ようやく私はその悪魔の遇し方を学んだ。

おそらく『普通』の人たちにとっての『家族』とは

小さい喧嘩はするけれども基本的に優しさや暖かさを共有して互いに愛し合い、尊重し合う関係なのであろう。
たまたま私の育った壁と屋根の下には、典型的発達障害の男性と、自己犠牲に酔いへその緒を切った自覚のないミュンヒハウゼン症候群の気のある女性と、無神経で無学で傲慢で自己中心的で己の 正しさを疑いもしない馬鹿なクソババアしかおらず、まともに親や保護者のロールをプレイする大人が1人もいなかっただけなのだ。だから私は憎しみで精神的リストカットを繰り返し、己の生育環境の劣悪さを一生懸命アピールしていたのだ。
だが、馬鹿はどれほど言を尽くし懇切丁寧に説明しても、己の馬鹿さ加減や親としての不適格さを認めようともしない。やるだけ無駄だったのだ。

認知の歪みを受け容れた後で

大人になってから知己を得た何人かの方の家族関係を覗くと、そこには大なり小なりなんらかの形の愛があった。愛していれば互いを心配するのは当たり前だし、喪失に遭遇しても当然嘆き悲しむ。
そうやって『自分と違う意見を持つ人』の存在を理解し許容すれば、その感情に寄り添うことも可能となる。大事な人が事故や事件に巻き込まれて悲しんでいても、苛立ちを覚えることもなくなるし、素直な共感を覚えることもできる。
長年薬物とカウンセリングによる治療を受け、「これ治るのかなぁ」と不安になっていたのだが、認知の歪みを無自覚のうちに矯正できていたことに気づけたことで、「治ってるんだ、いい方向へ向かっているんだ」という嬉しさと成功体験を得ることができた。

専門家の談

翌土曜日(19日)、早速このことをカウンセラーの先生に報告した。私は些細なことだと思っていたのだが、先生からは予想を大きく上回る賛辞をいただけた。
だいたい要約すると、「フルヤさんが認知の歪みを取り除けたことを自覚できたのは大きな一歩である」とのことだった。
うっかりする、片づけができない、だらしない、といった発達障害に起因する困りごとと、この世のすべての老婆を駆逐しつくしたいという暴力的な欲求や刹那的・場当たり的な生き方といった人格障害に起因する困りごとを仕分け、後者を矯正して社会的に生きるために、この気づきは大きなことらしい。
確かに、これまでエアーズロックのごとく凝り固まっていた『認知の歪み』でも、渓流の水が岩を削るかのように少しずつでも矯正できる、と理解し実感したことは、私が思っているよりも重要なのかもしれない。
そして、「『家族』を心配する人」を嘲弄していた過去の私は、過去に私が親たちの無理解や馬鹿さを訴えても、「子供を心配しない親なんているはずがない」という狭量な常識であの化け物どもを忖度し、親の愛や恩を説く的外れな人たちとなんら変わりのない愚か者であったと気づくこともでき、反省を新たにした。

ただ、たぶん矯正できないこともある

そのようにして、私は「『家族』を心配し、喪失を嘆き悲しむ人」への理解を改めたのであるが、どうしても解決できそうにない歪みはまだ残っている。
それは、血縁者をどうしても『家族』とは見なせないことである。
世間一般的に『家族』とは互いに助け合い愛し合う人たちのことである限り、私の窮状を何ら助けることもなく、愛情を向けられた覚えもない(むしろ彼らは私を恥部として扱った)人たちが、ただ精子卵子を提供したり、同じ子宮から出産されたからといって、無償の愛情を注ぐ対象になどはならない。
中年となり、互いを慈しみ合う家族愛を目の当たりにしても、思春期の「突然ガス爆発でも起きてこいつら全員死なねーかな」と呪い念じ続けている思春期の私がまだ生きていることを確認して、その日のカウンセリングは終了した。

*1:高速修復材の通称。形状に拠る

*2:戦意高揚状態(キラキラエフェクト表示)にするため1-1を周回すること。くわしくは キラ付け(艦これ)とは (ゲツヨウノニッカとは) [単語記事] - ニコニコ大百科を参照されたし

対人プロトコルに関わる話

早起きをした

気分爽快である。艦これも楽しい。単純なもので、軽く躁状態になるとアウトプットをしたくなる。そんなわけで、前々から考えていたことをリリースする。

文化的土壌の違う人の考えは予想できない

私には兄が二人いる。それぞれ5歳・3歳離れている。この兄たちと、20年以上まともに会っていない。
別にたいした事情があったわけでもないのだが、兄と会うとなるとどうしても憎々しい両親がセットでついてくる気がしたし、あまり会っても楽しい話ができる気がしないという、漠然とした負の感情があるからである。
私の記憶にある限り、彼らがオタクだったような気がしない。二次元の世界を眺めることに対する楽しみを理解してもらえる気はこれっぽっちもしない。
別に「二次元っていいよね!」と同意だとか共感がほしいわけではない。「私は二次元の世界を眺めることを好んでいる」という事実だけを認識してもらいたいのだが、それすら歪んだ認知によって阻害されてしまいかねない、ということである。

非実在兄のプロフィール

現実世界では彼らも四捨五入四十代の中年男性であるはずだが、記憶が更新されないせいで、いまだに18~20歳くらいの姿を連想している。私の認識にしか存在しない、非実在兄である。
兄同士はたぶん仲がいい。私という仮想敵がいたから、当然のことであろう。
学力はお世辞にも芳しいものではなかった。上の兄は生徒会役員を務めていたのだが、そんな絶好の内申ブーストを使用すらできず、専門学校への進学も視野に入っていた、と言えばわかりやすいだろう。
数学の証明問題が特に苦手だったようで、中3の夏休みに母がせっついて勉強させていたことを覚えている。
下の兄もおそらく似たようなもので、二人揃って「地域の公立普通科の中での一番低ランクな高校」へ進学した。
兄たちと私の時代が『大学全入時代』でなかったことは、非常に喜ばしい。今のように学力が残念な生徒のFラン私大への進学がスタンダードだったら、予算の都合で私は私立高校へも私立大学へも進学できなかっただろう。

対して私は、というと。

この歳になって学力云々言うのはナンセンスだが、勉強はできたし今でも大好きだ。
『教科書に書いていることを理解できない』人のことが理解できなかった。
発達障害児特有の、高IQ低EQである。
大した苦労もせずにそれなりの大学附属高へ行き、楽して内部進学する道を捨て、そこそこの努力で日本で2番目に卒業生の多い大学へ入学した。
高校や大学、またその後の交友関係は、必然的に「頭が悪くない」人たちに限られた。
それなりの知見があり、興味深い分野において一家言あり、他人の信じ愛するものを一方的に拒絶しない程度の度量の広さを持つ人ばかりだった。

意思疎通不全の恐怖

翻って、兄たちである。熱心に本を読むようなタイプではない(たぶん)。高校受験に苦労するくらいだから、おそらく論理的思考が得意な方ではない。
そのような人たちとどのように意思疎通すればいいのか、現在非常に悩んでいる。
カウンセリングの場でも、しばしば俎上に乗る。今の先生とは延べ8年に渡って話を聞いていただいており、さすがにツイッターのログやホモエロ同人誌などはお渡ししていないが、血の繋がっている人たちとのやりとりするメールは読んでいただいている。
そこで出たのは、「意思疎通の難しさ」であった。
私は、馬鹿な毛なし猿のつがいが無責任に製造した私という存在についての怨嗟をさんざん吐き出し、「馬鹿の無責任な生殖」について私が責任を負う必要はない、彼らが馬鹿なのが悪い、という結論に至った。その結論をコンパクトにまとめてメールを送信したのだが、先生のご意見を伺うと、
「いきなり結論だけを投げ渡しても、それを受け止める技量が先方にあるとは考えにくい」
とのことだった。
なら、その結論へ至るまでの思索の流れを抽出し、数学の証明のように明示すればいいのではないか、と言ったところ、先生の的確なツッコミが。
「でも確かフルヤさんのお兄さんって証明問題苦手でしたよね」
オワタ\(^o^)/

未知との遭遇 ~プロトコルを見定める

IT系のお仕事をしたことがある人なら、一度は見たことがあるはずの、OSI参照モデル。デバイス同士を接続する際、正常に動作させるために、正しい手続き(プロトコル)を踏まねばならない、というのをわかりやすく示す図である。
プロトコルって言いたかっただけです、はい。
閑話休題。兄と話すためのプロトコルをいったいどの辺に定めたらいいのかがまったくわからない。
自分の外側や内側をきちんと定義して、表現する術を知らない人が何を考え、何に立脚してものごとを考えるのか、とてもではないが想像が及ばない。
私の「普通」はおそらく兄の「普通」ではない。私の方が少数派で、おそらく兄の「普通」の方が推測しやすいから、こちらが兄の「普通」にチューニングするしかない。
まずは兄の「普通」を探ることから始めなければならないようだ。面倒くさいことこの上ない。