知的饕餮日記

はてな女子で知識欲の亡者で発達障害で腐女子な人の日常だったり恨み節だったり

自分をどう認識するか/発達障害者の世界の見方

いきなり唯脳論的な話で恐縮ですが、人間は世界を「脳」という感覚器官を通した形でしか受容できないわけです。『姑獲鳥の夏』や『魍魎の匣』を思い起こした方は正解です。
意識というのは、人間が「意識」を意識した時にだけ現れるまやかしです。自分を囲む世界の刺激という海から、その時の自分にとって都合のいい「自分が意識している世界」だけが、潮の引いた海岸のように浮かび上がるのです。
目が悪い人は視力矯正の手段がなければ世界を朧気にしか視認できません。耳の悪い人は比較的デシベルの大きな音しか聴取できない場合があります。
そのような感じで、発達障害者は人とコミュニケーションを取る器官に異常が見られるので、いわゆる健常者とは違う世界を認識しています。

現在「発達障害」と称されているのは、ちょっと前までの基準ではアスペルガー症候群と呼ばれていた「空気の読めない」人、注意欠陥多動障害(ADHD)に代表される「片づけができない」人、学習障害(LD)と呼ばれる「別段知能が低いわけでもないのに読字や計算のできない」人、「特定不能の広汎性発達障害」という何を指しているのかわからない名称で呼ばれる「こだわりの強すぎる人」、もしくは「このどれにも当てはまらないけど生活に支障のある人」です。
何しろ問題が認識されてから30年程度しか経っていないので、臨床も研究もまだまだ不充分です。
視覚・聴覚・四肢欠損等をまとめて「身体障害」と呼んだり、鬱病双極性障害統合失調症も癲癇もパニック障害もまとめて「精神障害」と呼んだりする程度の乱暴さです。

何の話かというと、「自分が世界をどのように認識しているか」を把握することの重要性です。
同じ発達障害という症例名をつけられても、同じ症状で困っている人にはなかなか出会えないのが現状です。
例えば私はどこからどう見ても発達障害です。片づけ作業や考えるのは苦手ですが覚えるのは得意です。就学前から漢字が読めて、新聞だのゴルフ雑誌だの、活字が載っているものなら何でも読んでいました。記憶力も高く、中学生の時に読んだ『銀河英雄伝説』の、英語でもドイツ語でもない名前のキャラクター名をいまだに覚えています(スーン・スールズカリッターなど)。一度も読んだことのない『ゼロの使い魔』のメインヒロインのフルネームまで覚えています。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールです。
その割には英語の語彙を覚えたり、長文を読解するのが苦手で、「みんなexなんたらとかdisなんたらとかややこしいんじゃ!」「thatを何回繰り返せばいいんだ!何がどこにかかってるのか全然わかんねーぞ!」と心中で切れています。
自分は英語LDというやつなのではないか、と疑ったこともありますが、本当のLDだったらアルファベットの形を覚えるのも苦痛かもしれないし、なんでも症例名をつけるのも賢いやり方ではないな、と反省し、ちまちまと英語の勉強をしています。とりあえず苦労しない程度(TOEIC600点くらい)を目標に語彙力アップに励んでいます。

私と同じ障害名のはずの発達障害の友人は、とにかく人の名前を覚えることができません。普通の人の倍以上大学へ通っていた経歴を持つので、決して頭が悪いというわけではないはずの人です。
人気アニメ『キルラキル』の一挙再放送を見た後、彼(以下L氏)とこんな会話を交わしました。
私「キルラキル見た?私蟇郡(がまごおり)くん好きなの」
L「ガマゴオリって誰?」
私「ガチムチ変態ドM20歳」
L「ああ」
L氏は「生徒会長(鬼龍院皐月・きりゅういんさつき)が好き」と言っていますが、おそらく「鬼龍院皐月」という固有名詞と「自分の好きな太眉お嬢様生徒会長」の関連づけはできていません。
あまり興味のないジャンル、たとえば日本のアーティストでも、私がよく話題に出す浅井健一中村達也の名前を憶えません。「中村達也って名前がサッカー選手っぽい」と言います。その割にCMJK石田ショーキチチバユウスケは覚えます。
コンシューマーゲーム三國無双』シリーズをプレイしても、「郭嘉(かくか・金髪イケメンビリヤード使い)と賈詡(かく・うさんくさいおっさん鎖鎌使い)の区別がつかない」と言います。しかしながら「鎖鎌の人」はきちんと個別認識できている模様です。また、李典(りてん)という名前は覚えていなくとも、李典を「テレッテ」(李典役の声優・鳥海浩輔さんの別ゲームでの担当キャラクターのあだ名)と呼んで親しんでいます。
一番驚いたのは、L氏が何かの拍子に「凌統(りょうとう)と姜維(きょうい)は似ている」と言い出した時です。凌統はイメージカラー赤の呉に所属する格闘家風キャラ、姜維はイメージカラー緑の蜀に所属する槍使いです。共通点は「だいたい同じ時期に生きていた中国人男性」(プラスゲームでは比較的イケメン扱い)くらいです。
その発言を受けて、私は「ああ確かにアクセントが似ているな」と思いました。そしてL氏の『ふりがなを振れない』特性に気づきました。
L氏はものを覚えるのに音程やアクセントを重視していることがうかがえます。そして、カタカナやアルファベットの並びにはストーリー性を見出しますが、漢字の並びにはストーリー性を見出すことができないのです。たぶん。漢字が並んでいると、ごちゃっとして区別がつかなくなるのではないかと感じます。
幼少期と思春期に海外(非漢字文化圏)で過ごした、いわゆる帰国子女であったことも、関係なくもなさそうです。
だからCMJK石田ショーキチチバユウスケは覚えられるようです。「中村+達也=中村俊輔田中達也」という印象が先に出てしまうので、中村達也という文字列を固有名詞として認識できず、「サッカー選手みたい」という印象だけが残る結果となります。
この法則性を発見するまでは、彼の「人の名前を覚えない」特性にはさんざんいらいらさせられました。

こんな風に、同じ発達障害というくくりの中でも、得意分野と苦手分野が相当分かれます。
見えている・認識している世界にも、各個人ごとで開きがあります。
発達障害だからこうであるに違いない、こうあるべきだ、という決めつけは禁物です。
自分は何が得意で何が苦手かをきちんと認識すること(自分の棚卸しとも言われる作業)をして、少しでも自分にとって生きやすい世界を構築する方が、より楽に生きることができるのです。