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知的饕餮日記

はてな女子で知識欲の亡者で発達障害で腐女子な人の日常だったり恨み節だったり

人格障害は治る、かもしれないのと『家族』の定義と認知の歪みの話

艦これで、春イベントが始まった。昨年末の『蒼き鋼のアルペジオ』とのコラボイベントから数えて3ヶ月ぶりの期間限定イベントである。イベントではクリアの報酬として先行配信艦娘や装備がゲットできる上、マップ上でのレア艦娘のドロップ率が高い。建造ではなかなかレア艦を出せない、また通常マップの攻略が遅れている私のようなヘタレ提督にとっては、大変にありがたい機会である。初風浜風夕雲イクさんと不気味に呟きながら、ここ3ヶ月で貯めた資源やバケツ*1を大放出している。
しかし、どうやら弾薬が足りない。45000ほど備蓄していたのだが、主力に戦艦や正規空母を投入し、援護攻撃にやはり戦艦を派遣すると、マップ1周ごとに弾薬1000くらいは平気で吹っ飛ぶ。少しでも多くの弾薬を稼ぐためには、予備役のみんなを遠征に出して資源の回収に努めるしかなく、遠征にはキラづけ*2の努力をしなくてはならない。千里の道も一歩からである。

キラづけは基本的に何回か左クリックするだけの簡単なお仕事である。その間ただぼーっとしているのはもったいない。というわけで、徒然なるままに駄文を書き連ねる。

とても素直な感想を持つ

韓国で旅客船が沈没してから、もう1週間以上過ぎてしまった。これほど多くの犠牲者が出た原因として、乗組員の杜撰な勤務状況が報じられている。防ごうとすれば防げたはずの、人災である公算が非常に高い。
とはいえ私は船舶にも韓国の法律にも詳しくはないただの中庸派なので、その原因を論じるわけではない。今回は、あの事故を見た時の私の心の動き方の話である。
先週の金曜日(18日)、私はニュースを見ていた。どの番組も、沈没事故をトップニュースで報じていた。取り残された人たちの生存の可能性を測る目安の『72時間』を前に、救助活動はなかなか実を結ばず、搭乗客(主に高校の修学旅行生)の家族が、焦りと悲しみを隠さずに嘆く様子が液晶画面に映った。
その中で特に胸を打ったのが、ある家族の方が海岸から船の沈む方角へ向かって「○○ちゃん、頑張って!」と、まだ船内にいると思われる少年もしくは少女へ聞こえるようにと声を張り上げて呼びかけていたシーンだった。「悲しいなぁ、やり切れないなぁ、早くどうにかうまく助けられないかなぁ」と、見ず知らずの少年少女とその家族へ同情した。

その次の瞬間、少し冷静な私が思い出した。

「お前、前と言ってること違くね?」と。
確かに以前の私は、この手の事件や事故の犠牲者のことを思いはすれども、その家族へは常に冷ややかなまなざしを向けていた。
失われた命を嘆く家族を見るたび「はいはい可哀想な私アピール乙」とか「どうせ内心では死んでくれてラッキーとか思ってるんだろ」とか「(特に親に向かって)お前らが作らなかったらその人は死なずに済んだんだよ、人を不幸にしといて被害者面してんじゃねーよ」と、悪罵の限りを尽くしてきた。
学習によって得た知識で、そのようなことを言うのは道徳上好まれないと理解していたため、口に出したりインターネット上で公表することはなかったが、30代に入るまでは本気でこう思っていた。

もちろんこの発想は歪んだ認知に基づいていた

私の育った劣悪な家庭環境が、『家族』とは互いに憎み合い、揚げ足を取り合い、攻撃し合い、「こいつ邪魔だからとっとと死んでくれないかな、つーか死ね今死ねすぐ死ね可及的速やかに死ね」と呪い合うものであり、そうでない『家族』などない、という偏った常識を形成させたのである。
そのような認識であれば、身内の不幸を嘆き悲しむ人を見ても「あーこいつお涙頂戴の悲劇の主人公を演じてやがる、そこまでして同情がほしいかこの人でなしめ」と思ってしまうのも当然の成り行きである。
これは『とても性格が悪い』人間の思考様式であり、現代社会ではその『とても性格が悪い』ことを人格障害もしくはパーソナリティ障害と呼ぶ。

一緒くたになった三重苦

私は生まれつきの発達障害を持ち、無理解と抑圧を受け続けた結果、二次障害の鬱病人格障害を併発している。
狭義の(医師にかかったという意味での)病歴は15年ほどだが、自覚しない病識を持ってからの年月は30年以上であろう。
社会との軋轢を強く感じて鬱をこじらせてからずっと、私は悪魔に苛まれ続けていた。それは時に母の姿を取り、父の姿を取り、クソババア(父の母とされている無教養で愚かな老害)の姿を取り、四六時中あらゆる方向から私の存在意義を否定し、私を苦しませ続けた。
とうとう疲れ果てて社会に出ることをやめてからも、悪魔との戦いは続いた。そして、ようやく私はその悪魔の遇し方を学んだ。

おそらく『普通』の人たちにとっての『家族』とは

小さい喧嘩はするけれども基本的に優しさや暖かさを共有して互いに愛し合い、尊重し合う関係なのであろう。
たまたま私の育った壁と屋根の下には、典型的発達障害の男性と、自己犠牲に酔いへその緒を切った自覚のないミュンヒハウゼン症候群の気のある女性と、無神経で無学で傲慢で自己中心的で己の 正しさを疑いもしない馬鹿なクソババアしかおらず、まともに親や保護者のロールをプレイする大人が1人もいなかっただけなのだ。だから私は憎しみで精神的リストカットを繰り返し、己の生育環境の劣悪さを一生懸命アピールしていたのだ。
だが、馬鹿はどれほど言を尽くし懇切丁寧に説明しても、己の馬鹿さ加減や親としての不適格さを認めようともしない。やるだけ無駄だったのだ。

認知の歪みを受け容れた後で

大人になってから知己を得た何人かの方の家族関係を覗くと、そこには大なり小なりなんらかの形の愛があった。愛していれば互いを心配するのは当たり前だし、喪失に遭遇しても当然嘆き悲しむ。
そうやって『自分と違う意見を持つ人』の存在を理解し許容すれば、その感情に寄り添うことも可能となる。大事な人が事故や事件に巻き込まれて悲しんでいても、苛立ちを覚えることもなくなるし、素直な共感を覚えることもできる。
長年薬物とカウンセリングによる治療を受け、「これ治るのかなぁ」と不安になっていたのだが、認知の歪みを無自覚のうちに矯正できていたことに気づけたことで、「治ってるんだ、いい方向へ向かっているんだ」という嬉しさと成功体験を得ることができた。

専門家の談

翌土曜日(19日)、早速このことをカウンセラーの先生に報告した。私は些細なことだと思っていたのだが、先生からは予想を大きく上回る賛辞をいただけた。
だいたい要約すると、「フルヤさんが認知の歪みを取り除けたことを自覚できたのは大きな一歩である」とのことだった。
うっかりする、片づけができない、だらしない、といった発達障害に起因する困りごとと、この世のすべての老婆を駆逐しつくしたいという暴力的な欲求や刹那的・場当たり的な生き方といった人格障害に起因する困りごとを仕分け、後者を矯正して社会的に生きるために、この気づきは大きなことらしい。
確かに、これまでエアーズロックのごとく凝り固まっていた『認知の歪み』でも、渓流の水が岩を削るかのように少しずつでも矯正できる、と理解し実感したことは、私が思っているよりも重要なのかもしれない。
そして、「『家族』を心配する人」を嘲弄していた過去の私は、過去に私が親たちの無理解や馬鹿さを訴えても、「子供を心配しない親なんているはずがない」という狭量な常識であの化け物どもを忖度し、親の愛や恩を説く的外れな人たちとなんら変わりのない愚か者であったと気づくこともでき、反省を新たにした。

ただ、たぶん矯正できないこともある

そのようにして、私は「『家族』を心配し、喪失を嘆き悲しむ人」への理解を改めたのであるが、どうしても解決できそうにない歪みはまだ残っている。
それは、血縁者をどうしても『家族』とは見なせないことである。
世間一般的に『家族』とは互いに助け合い愛し合う人たちのことである限り、私の窮状を何ら助けることもなく、愛情を向けられた覚えもない(むしろ彼らは私を恥部として扱った)人たちが、ただ精子卵子を提供したり、同じ子宮から出産されたからといって、無償の愛情を注ぐ対象になどはならない。
中年となり、互いを慈しみ合う家族愛を目の当たりにしても、思春期の「突然ガス爆発でも起きてこいつら全員死なねーかな」と呪い念じ続けている思春期の私がまだ生きていることを確認して、その日のカウンセリングは終了した。

*1:高速修復材の通称。形状に拠る

*2:戦意高揚状態(キラキラエフェクト表示)にするため1-1を周回すること。くわしくは キラ付け(艦これ)とは (ゲツヨウノニッカとは) [単語記事] - ニコニコ大百科を参照されたし