読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

知的饕餮日記

はてな女子で知識欲の亡者で発達障害で腐女子な人の日常だったり恨み節だったり

川越と厚木の中間点で愛を叫びたかったけもの

家族

日曜日(27日)、所用で横浜へ行った。より正確を期すなら、伊勢佐木町へ行った。
伊勢佐木町モールのベイスターズ推しと、今季ベイスの暗黒ぶりのギャップに、ベイスファンでない私でも暗澹たる気持ちを抑えることができなかった。ベイスターズ非公認ブログペットベイスたん(ベイスターズの勝ち星か選手のホームラン以外の食物を食べられない、そして空腹ゲージが切れると餓死してしまう)の容態が心配になった。去年は比較的はらぺこな思いをせずに済んだのにね…。
用事を済ませ、関内駅から京浜東北根岸線に乗り、横浜駅東急東横線に乗り換え、松本清張『或る「小倉日記」伝』を読みながら車窓を見ていると、またぞろ暗黒が吹き出した。

祖母についてのおおまかな説明

母方の祖母は、実の祖母ではないのかもしれない。
1948年、45歳の時に母を産んだという設定なのだが、当時の基準で言うと相当な高齢出産ということになる。
初産ではないし、実際に40代で出産した人もいるからむやみに疑うのもよくないが、厄介なことに傍証もある。母には20歳以上年齢の離れた姉が二人おり、しかもそのうち2番めの姉(私の伯母という設定)は若くして自殺したらしい。どうも何かありそうだ、と勘ぐるには十分すぎる状況である。
しかしこの話は今回関係ないので、以下「祖母」で統一する。
祖母は93年に、90歳で逝去した。逆算すると、1903(明治36)年生まれということになる。今Wikipediaさんに聞いたところ、この年の5月には藤村操が華厳の滝へ飛び降り自殺し、12月にはライト兄弟が飛行実験に成功している。そしてその翌年には日露戦争が始まり、与謝野晶子が『君死に給うこと勿れ』を発表する。祖母は大正デモクラシーから戦中・戦後、高度成長期までの激動の時代を生き残ったわけだが、祖母とそういった話をする機会はなかった。そもそも祖母と話をした記憶がない。
私が物心ついた頃、既に祖母は重度の認知症を患っていたのだ。
81~82年頃、膝か腰を傷めて入院したらしいのだが、まだ介護の概念があまりなかった時代に、患者を家畜のように扱うろくでもない病院へ転院してしまったため、認知症(当時は『老人ボケ』と言われた)の症状が一気に亢進してしまったのだ。
そのとんでもない病院は、今ではある趣味の持ち主の間で超メジャーな存在となっている。

厚木恵心病院

Wikipediaさんに項目まである、立派な心霊スポットとなったのだ。祖母が入院していた時は河野病院という名義だったが、患者扱いのよくなかった病院が潰れるのは当然のことで、その後何回か経営者が変わった後に廃業し、廃墟となった。「経営不振を苦にして飛び降り自殺した院長」や「手術に失敗して死んだ患者」の幽霊が出ると噂され、肝試しを楽しむ若者が訪れ、不良のたまり場となって壁面をDQNアートで彩られた。
もともとオカルト趣味のあった私が、インターネットのサイトや掲示板などで『厚木の廃病院』の噂を聞き、もしかしたらと画像を見たところ、バス停から仰ぎ見た記憶のままの建物があり、感動した。

厚木千里行

そもそもなぜ見覚えがあるかというと、少なくとも2回以上訪れたことがあるからだ。なぜ訪れたかというと、祖母の見舞いという名目があるからだ。そして私がなぜ見舞いに訪れたかというと、これが判然としない。
今一生懸命記憶を掘り返しているが、私は元気だった頃の祖母に接した記憶がない。祖母の90年の人生のうち、寝たきりだったのはその1/9に当たる10年だったはずだが、私の記憶はその10年に限られている。私にとっての祖母は、ただ病院のベッドの上で身を起こして歯のない口をもぐもぐさせていた小さな存在でしかない。意思の疎通のできる生物であったとすら認識していない。祖母も私に何ら反応を返さなかった。目の前にいる孫か曾孫を認識していたとは思えない。娘もしくは孫である母ですら認識していた風ではなかったのだから、その付属物の扱いなどは推して知れる。
ところで、当時住んでいた川越から厚木までの道のりは相当遠い。今Googleトランジットで調べたところ、最短でも1時間58分かかる。しかもこれは小田急ロマンスカーを用いてショートカットした時間である。特急に乗る経済的余裕はなかったし、まだ埼京線の開通前のことだったから、ルートは東武東上線→山手線→小田急線に限られた。しかも、本厚木駅に着いてからも、病院へ行くのにはバスを用いた。往復すれば4時間以上(ひょっとしたら5時間近く)である。ちょっとした小旅行の移動距離だ。
当時7歳の私が、電車に乗るという非日常を楽しめたのはせいぜい行きの小田急線までで、帰りは疲れきっていた。本厚木からの上り電車も、山手線も、池袋からの下り電車も、空席を探すのが難しいほど混んでいた。しかたなく床に座り込む私を、母は「みっともない、わがままを言うな」と引き起こした。「わがままを言ってはいけない」という強烈な刷り込みがあったが、吊り輪は到底手の届かない高さにあったから、手すりに縋って立った。帰宅する頃には疲労困憊であった。

いや、そのりくつはおかしい

前述の通り、川越から厚木への往復移動時間は軽く4時間を超える。小旅行の域である。成人した中年の私ですら「面倒だなぁ、用事がなければ行きたなくないなぁ」と思ってしまう程度の距離だし、ましてやそのうち2時間座らないなど、苦行でしかない。常識的に考えれば、7歳児にそんな苦行を強いるのは間違っている。
例えば「祖母が私にどうしても面会を求めていた」といったような理由があれば、「あの頃は大変だったけど、おばあちゃんを喜ばせられてよかった」という風に自分を慰めることは可能である。しかし実態はこれまた前述の通り、当時の祖母に意思があったかすら疑わしい。
母が私に怒ったのは、一見普通の『厳しい親』めいているが、幼児に電車での行儀を求めるのは、せいぜい帰省かテーマパークへの行き帰りなど楽しい時か、子役さんが仕事へ行く時くらいだろう。流れる車窓くらいしか益のないただの移動に子供が飽きや疲れを覚えてはいけない、と子供を怒る方がどうかしている。
私が移動に飽きることに対して何の配慮も払わない点も、理解しがたい。発達障害児だった私は待つことが苦手である。また、活字があればそれを一日眺めていても飽きない子供だったのだから、本の一冊も持たせれば、少なくとも飽きなかったはずだ。そういった子供の個性や特性を無視して、ただ「自分が我慢しているのだからお前も我慢しろ、わがままは許さない」と強要する方がよほどわがままである。
私は意思を一切尊重されない荷物だったのだ。

連れて行かないという選択肢はなかった

そんなわがままを押し通してでも、母は荷物の私を連れて行くしかなかった。
姑であるところのクソババア(父の母とされている存在)と同居しているのだから、預けて身軽な状態で出かけることもできたはずだが、母はクソババアにはどうしても恩を着せられたくなかったのだ。
クソババアは無神経と独善と図々しさと恩着せがましさを汚物で練り上げたような憎々しい生物で、ちょっとしたこと、例えば子供が脱いだ服を放置したとか、洗い物が残っていたとか、そんなことを進んで片づけては、「~してやったよ」と報告する。それが母には耐えがたく屈辱的だったらしい。まったくの善意であるところが余計に悪質だ。
これは相性の問題であろうが、障子の桟の埃を指で拭うような、いわゆるクソ姑のような人だったら、母の努力は報われたはずだ。あるいは、想像力が欠如している馬鹿を「大らか」と呼ぶことも可能だから、他人の恩を素直に受け止められるお嫁さんなら、円満な家庭を築けたかもしれない。
想像力に欠陥を抱える自分の正しさを微塵も疑わない馬鹿と、意思表明できず他人に察してもらう努力しかできない愚者の組み合わせは最悪である。
自分で言うのも何だが、私はそんな馬鹿な大人たちのわがままに翻弄され、意思表示する権利すら『わがまま』という魔法の言葉で奪われた。
本当に『わがまま』な人間が、長じて「私が呼吸していることが地球に対して罪悪だ」とか、「私の分の食事があれば、紛争地域の貧しい子の食事を確保できるのに」といった病み方をするわけがない。想像でしかないが、たぶん「自分の思う通りに動かないこの世はおかしい」と感じるはずだ。
命名規則の件もあり、後に「私を製造する予定はなかった」「私は避妊に失敗して堕胎の時期も逸して生まれたいらない人間だ」と母に認めるよう迫ったが、母は「そんなことを考えるのがおかしい、理解できない」と拒絶した。
そのように思わせる言動を積み重ねておいて、自分の都合のいい時だけさもまともな親である風に振る舞うのである。身体的虐待を加えられていた方が「悪いことをした」という自覚が芽生えるかもしれないだけましというものである。

世界の中心で愛を叫んだけもの

今の私の存在を否定する存在はいない。私は自分の存在を消すように働きかける必要はないし、私が移動する場所も読む本も自分で決められる。よほど他人の利益を損なうことがない限り、それを『わがまま』と謗る人もいない。「僕はここにいてもいいんだ!」と宣言して拍手を受け、「おめでとう」と言ってもらえる。
血縁者にとって「いらない子」であっても、血の繋がりのない一部の人にとっては「いらなくはない」と自分を定義できる。
TV版『新世紀エヴァンゲリオン』の最終回を見ても、自分の存在を否定されなかった人は「何を当たり前のことを」と思うだろうが、その『当たり前』を与えられなかった人間にとっては死活問題なのである。何しろ、自己定義を繰り返さなければ、存在意義は消えてしまうのだ。それはとても恐ろしいことである。