知的饕餮日記

はてな女子で知識欲の亡者で発達障害で腐女子な人の日常だったり恨み節だったり

「なんでもないようなことが『幸せ』だったと思う」こと

私は別にThe 虎舞竜のファンというわけではない。『ロード』は人口に膾炙したから、自称ロッカー()の耳にも届いただけである。他の曲は一切知らない。
しかし、人口に膾炙したということは、少なくない数の人が、この歌に感銘を覚えたということである。歌詞の叙情性は私の好みではないが(私の好みに関してはいつか吐き出すかもしれない)、人々の心を揺るがしたのであろう。
叙情性を切り捨てて、サイケ()でパンク()なロックンロール()を追い求めたのは私の絶望ゆえであろうが、最近のいくつかのできごとが、私を正の方向へ歩ませようとしている。

高校の先輩が出産した

この先輩は著名な個人事業主で、公人名義のTwitterのアカウントでも妊娠・出産の報告をされている。公人としての先輩にとっての私は有象無象の一人でしかないと感じていた。
ほとんど放置していたFacebookのアカウントへ、見知らぬ名前の方からフレンド申請をいただいたのは、数日前のことだ。ファーストネームとフレンド欄を見て「先輩だ」と直感した通り、メッセージには先輩の旧姓(私にとって馴染んだ姓)が付記してあった。つまりは公人とは別の、私人としてのアカウントである。
先輩は主にお子さんの写真をアップされている。赤ん坊がなぜ赤ん坊と言われるのかよくわかる。健康な皮膚の下の血液が全身を循環していて赤い。非常に可愛く、愛らしい。
私人のアカウントでアップされる画像は、先輩にとって私がある程度大切な存在であること、少なくとも「いらない人間」ではないことを、私に教えてくれる。
お子さんの可愛さと、それを見せてもらえる嬉しさは、私に肯定感をもたらしてくれるものだった。

話変わって、ある実験の協力というか実験台をしている時のこと

発達障害者の自助団体に顔を出していたら、池袋の大学の院生の方に選ばれた(主に私の『頼みごとを断らない』性質のため)。
実験の内容は、初対面の人と15分程度会話し、後日その録画映像を見ながら、客観的に見た自分のことや、その時感じていたことを言うというものだった。
インタビュイーの方とは何度かメールでやり取りし、また対面した。メールのフッターに付記していたこのブログを読んでくださっていた。
その内容をいたく褒められた。博識であるなど、過ぎた賞賛も受けた。
境界性パーソナリティ障害を持つ者の常として、常に自分を否定し批判し卑下し続けているが、その実賞賛を心から求めている私にとっては、とても嬉しいことだった。
そして、インタビュイーの方のお話も伺った。決して順風満帆ではないとのことだった。
「親から邪魔者扱いされて理解されなくてとっても可哀想な私!」とあらゆる方法で自分の悲惨さを全方位アピールしている浅はかさが恥ずかしくなった。

「所詮は君もただの欲望と罪の子供」

何の苦労もせずに育った人などまずいないし(貴種には貴種の、素封家には素封家の苦労がある)、人はみな大なり小なりの可哀想さを持ち、苦しみを抱いて生きている。大多数の人は、自分の可哀想さと向き合い、または目を背け、その中で自分が生まれたことの意義や、次代へ継承するべきものを探している。
生まれたくて生まれた人などこの世には一人もいないが、強制的な生を、何らかの手段で肯定しようとしている。
例えば貴種の人が身分ゆえの束縛や義務に苦しんでいたとしても、庶民は『贅沢な悩み』としか受け取らない。しかし、庶民に相対化されても、貴種の感じる可哀想さが消えるわけではない。貴種は貴種なりの幸せ(限定された相手との婚姻や学業など)を見つけるしかない。
個人の感じる可哀想さは決して相対化されないし、またできないのである。

そのように、私は私の幸せを見つけねばならない

幸せとは何かと言えば、「幸せと感じる状態」のことである。
自己肯定の権化たる広瀬香美に『幸せをつかみたい』という歌がある。ここで歌われる「幸せ」は、広瀬の代表作『ロマンスの神様』と同様に、異性との恋愛の成就、そして結婚である。非常にバブリーな世界観である。しかしいくら私がそこに「幸せ」を見出せなくとも、広瀬の信じる「幸せ」を否定することはできない。それは思想の自由だからだ。
人間の数だけ、「幸せ」の形は存在する。
私は前半生にあまりにも多くの量の不幸を与えられたため、「幸せ」を感じるセンサーがぶっ壊れてしまった。前半生でもいくつか「幸せ」はあったはずだし、後半生ではむしろ「幸せ」の方が多かったはずだが、その体験はなかなか定着せず、過去へ怨嗟を飛ばすすることで時間を浪費していた。
だが、恨みを持ち続けると疲れ、消耗してしまう。馬鹿な大人たちに翻弄された過去は変えようがない(おそらく私の寿命が尽きるまでにはタイムマシンは発明されないであろう)から、そこへこだわるのはやめ、目の前の小さな「幸せ」を摘んで濁った魂を浄化した方がはるかに有意義であり、自分への癒しとなる。
先輩から連絡が来たことも、褒められたことも、きちんと記憶して適切な自己愛を形成しなければならない。
ちょうど今は艦これの春イベントの真っ最中で、E-2クリア報酬の明石さんとE-3クリア報酬の天津風ちゃん、そしてドロップにて瑞鶴さんと伊19(イク)さんをお迎えすることができた。レギュラーたちがだいたい育ちきってしまったため、不本意ながら余剰の艦娘を解体していたのだが、新顔たちを強化するために近代化改修に回ってもらうこともできる。
たかがブラウザゲームのサーバーの中のことであるが、これももちろん記憶すべき「幸せ」である。
心持ち次第で、人はいくらでも「幸せ」を得ることができるのである。